【訃報】ナンシー梅木さん【画像有り】
【訃報】ナンシー梅木さん【画像有り】
日本人として初めて米国アカデミー賞を受賞したナンシー梅木さんがお亡くなりになられました。享年78歳だったそうです。死因は癌だそうです。心よりご冥福をお祈り致します。
■【訃報】ナンシー梅木さん【画像有り】関連ニュース
【ロサンゼルス國枝すみれ】日本人俳優として唯一、米アカデミー賞を受賞したナンシー梅木さんが米ミズーリ州リッキングの老人ホームで8月28日に死去したことが分かった。死因はがんで、78歳だった。ワシントン・ポスト紙が5日報じた。
梅木さんはハリウッド映画「サヨナラ」(1957年)で、朝鮮戦争時に日本に駐留した米兵と恋に落ち、心中する日本人女性を演じて、58年3月に第30回アカデミー賞助演女優賞を獲得した。相手の米兵を演じたレッド・バトンズさんも助演男優賞を受賞している。
本名は梅木美代志。1929年、北海道小樽市生まれ。ジャズ歌手となり、55年に渡米。56年にCBSテレビの「アーサー・ゴドフリー・ショー」で英語で歌をうたい、注目されたことが、翌年のハリウッドデビューにつながった。「サヨナラ」以外の主な出演作品はコメディー映画「嬉し泣き」(61年)や「戦略泥棒作戦」(62年)など。
58年にはブロードウェーミュージカル「フラワー・ドラム・ソング」で中国から来たピクチャーブライドを演じた。テレビドラマ「エディのすてきなパパ」(69~72年)にお手伝い役としてレギュラー出演もこなした。
テレビディレクターのフレドリック・オピーさんと結婚したが、離婚。68年にドキュメンタリー監督のランドール・フッドさんと再婚し、76年に死別。ハワイ、カリフォルニア州に住んだ後、晩年は息子夫婦がいるミズーリ州で暮らしていた。
(毎日新聞より引用)
■ナンシー梅木さんニュース画像



■ナンシー梅木プロフィール
ナンシー梅木
ミヨシ・ウメキ(Miyoshi Umeki、1929年4月3日 - 2007年8月28日)は北海道小樽市生まれのジャズ歌手、女優である。本名は梅木美代志、日本ではナンシー梅木の芸名で知られる。
1957年のハリウッド映画『サヨナラ(Sayonara)』で東洋人の俳優として初のアカデミー賞を受賞した。
兄が進駐軍の通訳をしていた関係からキャンプでジャズを歌うようになり、1950年代における日本のジャズ歌手の草分けとして角田孝&シックスやレイモンド・コンデのゲイ・セプテットなどのジャズバンドで人気を博し、ナイトクラブやステージで活躍した。『青春ジャズ娘 』(1953)、『ジャズ・オン・パレード1954年 東京シンデレラ娘』(1954)などのミュージカル映画にも出演した。
1955年、音楽の勉強のため渡米した梅木は以後活動の舞台をアメリカに移す。1956年にはCBSテレビの「アーサー・ゴドフリー・ショウ(Arthur Godfrey and His Friends)」に着物姿で出演して英語の歌を歌い話題となった。これが縁となってマーキュリー・レコードでLPアルバムを発表、ここでは英語と日本語を交えて日本とアメリカの曲を歌っている。アルバムタイトルは 「Miyoshi Umeki/Miyoshi Sings for Arthur Godfrey」。1958年には同レーベルでセカンド・アルバム 「Miyoshi」 も発表している。
1957年、マーロン・ブランド主演の映画『サヨナラ』で高美似子と共にスクリーンデビュー。この映画の演技でアカデミー助演女優賞を受賞した。これは東洋人の俳優としては初のアカデミー賞受賞であり、また助演女優賞を米国・英国以外の俳優が受賞したのも初めてであった。なお、この年の助演男優賞にはやはり日本人の早川雪洲(『戦場にかける橋』)がノミネートされていたが、受賞者は『サヨナラ』でウメキの相手役であったレッド・バトンズであった。
1958年開演のブロードウェイミュージカル『フラワー・ドラム・ソング(Flower Drum Song)』 に出演したウメキは、トニー賞の最優秀ミュージカル女優賞にノミネートされ、1961年に映画化された際にも舞台と同じ役を演じた。
その他の映画出演作品には『嬉し泣き(Cry for Happy)』(1961)、『戦略泥棒作戦(The Horizontal Lieutenant)』(1962)、『忘れえぬ慕情(A Girl Named Tamiko)』(1963)などがある。また、1969年~1972年にはテレビドラマ 「エディの素敵なパパ(The Courtship of Eddie's Father)」にレギュラー出演している。
またゴールデン・グローブ賞に3回ノミネートされている(受賞はならず)。
(Wikipediaより引用)
